2017年8月
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2017年8月
・・・
2017-08-31
昨日は農水省のヒアリング。今日は有機JASの年次検査がたった今終了。年次検査ついては今回で13回目。すっかり慣れて、今やかつてのような障壁に非ず。ただ準備の段階で、日々の管理をもっとタイトにしておく必要があると感じたところ。さて具体的にどうするか。
それもそうだが、作業のにも頭を切り替えなければならない。
稲刈りを始めなければならない。
秋まきゴボウ目くらマルチをしなければならない。
緑肥の種を蒔かなくてはならない。
こんなところを急いでいる。どれもこれも例年ならいくらか猶予があることばかりだが、今年は特殊事情で急いでいる。
子育てを含め、日々は楽しくも辛くて、一杯一杯よ。目が覚めたら20年経っていて、子供らがみんな成人していた!なんてことにならんかしら。でも私は67か。それはちと寂しいな。
よいよい。下を向いて、足元ばかり見て生きて行けばよろし。必ずいいことがたくさんある。
ちょっと眠気もあるせいか、弱気。今夜は毛布を出して寝よう。谷の朝は寒く、近頃は熟睡ができん。それから酒の飲み過ぎで、最近体調が悪い。一昨日断酒、昨日節酒をしただけでいくらか回復したが。早く復調してまた安心して飲みたい。日本酒なら二合は飲まんと余計にストレスが溜まる。
今年の稲
2017-08-29
今年の稲に触れていなかった。
今年はネタというほどのネタが、ない。月明けにも収穫を始めるつもりの施肥区の従来圃場2枚は今までと変わったような様子はないし、残りの5枚は慣行栽培から転換1年目の新規圃場である。
この5枚についてはこれまでにボチボチ書いてきたが、とにかく圃場の状態の改善に力を入れていて、不陸の改善とグライ化している下層土の改善が最大の目的であり、稲の生育は二の次だ。5枚のすべてが本田無施肥で、圃場内生育差や生育ムラが大きく、また時々走水をするだけで7月上旬から基本的に落水管理をしている。あの「ぬかるみ田」の面影はまったくなく、田面には大きな亀裂がたくさん入り、はたしてどのようなお米が取れるやら、と心配がないでもない。
何といっても、田植え後に苗が枯れる程の刺激のある田んぼだったわけで、一時はどうなるかと思ったけれど、そういう箇所は不陸直しの甲斐なく相変わらず田面が低く、全体的に見れば一部に収まった。そういう所は明らかに土が窒息しており、まずは均平を取らなければ来年以降もないだろうと思われる。私の見立てでは圃場整備時の重機の通り道だったかどうかが怪しいと思われるので、とにかく来年で合格点まで均平を取って、その後の工夫を考えたい。
しかし、作土の厚さに惹かれて5枚の圃場を新規圃場に変えたわけだが、土が深いことによる今後の期待感を明らかに抱かせてくれるくらいの生育は、すでに今年でもある。一番は枝梗枯れが少ないこと。今田に引っ越してきて、私の中ではこれは大きな悩みだった。ちなみに収量は良さそう。こういう圃場は残り肥があるからそこそこ育つものだ。
早く圃場を安定させて、この農地で稲と向き合っていきたい。そういう将来の楽しみを抱いている、ということで、今の時点では大したネタがないということにしておきたい。
今月はあんまり更新していない
2017-08-28
今月のこのブログの更新数を数えてみたら、13日分しかない。今日が28日だから、これをアップしたらちょうど2日に1回ペースになる。2007年から書き始めて、すでに初めの頃の掲載媒体の「石見問屋」は消滅していて確認は出来ないけれど、これだけ書かなかった月は明らかにこれまでに、ない。
書かなくなった一番の理由は、自宅のPCの調子が悪くなったこと。あるときディスプレイが点かなくなった。それで使っていないテレビを引っ張り出して繋いでディスプレイ代わりにしているのだけど、キーボードと画面が違う方向で離れていて、まさかブラインドタッチが出来るわけではないから、入力ミスが多くなってしまって面倒なのだ。今もこれを、何度も何度も打ち直しながら書いている。ほうら、まただ。ああ、面倒だ。
次の理由は寝不足の日が増えたこと。特にこの数日はそう。下の子の寝つきや寝相が悪くなり、それに伴って私も寝不足になって、今まで書いていた昼飯時や早朝の時間には少しでも寝たいと思うようになっているのだ。事務所で昼飯を食うときは書くことが多いから、更新された日は事務所で昼飯を食った可能性が高い。
今日は自宅なので実は書く気がなかった。が、そういえば今月はいくつ書いたかなあなどと思って数えたから、つい、こんなつまらぬネタで書きたくなった。
ああ、やっぱり、間違えて、面倒だ。2行書くのに3度も4度も打ち直しているぞ。そうでなきゃこんなの書くくらいあっという間なんだが。
有機栽培はなぜ慣行栽培からバカにされるのか
2017-08-25
昨日は「有機農業波及講座」で講師役を。なぜ有機栽培は慣行栽培からバカにされるのか、という、受講者にとっては「えっ?」というテーマで語ってきた。
有機栽培が至高のものだという思いこみと、定量性を無視した有機肥料栽培に成り下がっていることが大きな原因であって、そんなことよりも農薬・化学肥料を含め低投与が重要だというようなことを紹介してみたところだ。
講座後、みなさんの反応は上々かなと。膝を打った、ショックを受けた、訳が分からなくなった、など反応は様々。とりあえず訳が分からなくなって欲しいとも考えているので、まずは有意義な質問を受けてホッとしたことだ。
大事なのは「根本」と「対症」の位置づけであり、そういう視点で物事を考えられるかだということを強調しておいた。関係者や受講者数名で昼飯を食いながら、ここのところはそれなりに伝わった気がするし、何より主催側の中心人物が、彼は有機農業協会のそれなりのポストなのだが、私と同じ方向を見ているということがこの上もなく心強い。また江津市のこの有機家庭菜園グループのみなさんがとても熱心だということは前から知っていたが、まさかカヤに覆われた放棄地を開墾までして取り組む女性が何気にいるような「連中」だということにはさすがに驚いた。冬にもう一度絡ませてもらえるようなので、何かいい方向へ進んでいくのではないかという期待を、地元川越コミュニティによる自然栽培の取り組みがすでに実質立ち消えになっていることもあって、抱いているところだ。
もっとも難しいと思う要素もある。特にJAS認定農地の面積や売り上げが「異常に多い」ここ江津市では。そもそも、有機栽培礼賛がどれだけ白けられているかという事実を認めるところからが関門だ。
自然栽培について語ると、すぐに有機栽培批判だと決めつけたがる人は少なくないけれど、私に言わせれば、「根本」と「対症」という見方ができないからすぐにそういう早とちりをすることになるのだ。この見方ができれば、有機栽培で行き詰った時の解決策も見えてくると思うのだが、自然を無視して人間(自分)の考えが一番だと思いこむから訳が分からなくなる。農法による人間関係の断絶はここに原因があると考えている。まずは有機農業協会の彼のように、業界の影が及ばず中立であるはずの行政などの立場の人が・・・農業という世界は望む望まないに関わらず行政との関わりが大きくならざるを得ないのだから・・・冷静なものの見方をしてもらいたいと願う。
ただ「行政もすっかり業界どっぷりなのだ」と言われれば諦める以外にない。一有機農家の私としては、有機農業の価値が下がっていくのは極めて残念であるけれど、とりあえずは諦めて、自然の営みのようにじっくりと歩みを進め、有機農業の地位を上げれるように事実を積み上げて行きたい。
準備中・・
2017-08-23
今年の稲に触れてみたいが、ちょっと時間がない。明日の有機農業講座の講師役が、「どなたでも参加できます」なんて市内全戸に無線放送されているもんだから、さすがに準備をしなければならなず、いつものメンバーなら質疑形式メインとかでワイワイでもやれるんだろうが。
内容についてはいつも悩むが、あくまでメインはいつものメンバーさんらを対象にして、やはり低投与の重要性について、おそらく今まで無かった角度からになるんじゃないかという期待を込めて言及したい。そしたら一見さんらにも楽しんでもらえるんじゃないかと。
準備はやりだすとキリがないし、私の本業はやはり作物生産にあってそちらがギリギリでやっているのだから、もうホドホドのところにしておいて、あとは当日本番で「勘が利けば」いい講座になるだろう、くらいに考えたい。
それにしても、外が暑い。いくらか凌ぎやすくなっていたが、また暑さが戻ってきた。暑い時間は明日の準備などもいいが、涼しくなったら作業をすべし。ああそうだった、まだ今日は息子の夏休みの自由研究も手伝うんだった。
キュウホーの総括
2017-08-21
乗用管理機の運転席から振り返って見たキュウホーの全景。

除草部分の拡大写真。通過前の状況。
ここに見られる草が、黒いカルチ爪とレーキの連携で、通過するときに埋められるか、引き抜かれるか、転がされるか(後に陽光を浴びて枯れる)。で通過後の後ろから見たところがこれ。
草の大きさを見誤らなければ、かなりの精度で草がなくなる。しかも50aの時間が50分と早い!以前の方法では90分かかっていた。
これは1回目の作業の様子だが、当然のごとく、この1回目の造作がもっとも重要になる。1回目さえ確実にできれば70%は成功したようなものだ。もちろんカルチやレーキの効果的なテンションや間隔、深さといった要素で出来形は大きく変わるから、それらの調整をしっかりやることが肝要だ。
今年の反省としては、調整がまだ慣れなかったということは当然あるが、時々抜けたり埋められたりする大豆にビビって気持ち遠慮気味にやってしまったことから、来年は若干播種量を増やすこと、前作残差や雑草を極力腐熟させるために早め早めの耕うんをすることをしてみたい。
次に2回目の作業だが。今年はこの調整がよく分らなかったのと、条合せの精度を上げることができなかったせいで、満足なパフォーマンスができなかった。旺盛に茂った大豆の写真を前回載せたが、実はイヌビユやイネ科雑草がそれなりに突き抜けてきてしまった。それらは研修生が抜いてくれているが、原因は2回目の造作が上手く行かなかったせいいだろうと考えている。「2回目の作業は、草が生えても生えてなくても1回目の作業の1週間後」と決めてやってもいいかもしれない。「草を見ずして草を取る」の極意の実践だ。なお条合せはセンターのカルチの工夫で来年からはバッチリだ。
これは3回目の作業で、一度はその効果を諦めた、レーキを土寄せ版に付け替えての土寄せ作業である。これも調整がしっかりできれば十分効果がある。しかし土があまりに固く締まってはダメ。全面がそうなるのなら、50aが30分程度だから、すぐにもう一度入れば何とかなるが、部分的に締まっているというときの対策が、まだ思い浮かばずにいる。
稲は草の処理ばかりを考えていると肝心の稲の生育が抑制される場合がかなりあるが、大豆は草さえ抑えればよっぽどのことがない限りは育つものだ。せっかくの武器を手にしたのだから、排水対策と合わせて、もう少し天候の悪い年でもしっかりと抑草できるようなレベルの技術を追求していく。
今年の大豆
2017-08-18
お盆前に、「ゴボウ売り上げ減の穴埋めをしてくれるだろう」と書いた大豆について触れたい。
今年の大豆は2つの大きな変更点があって、1つは田津地区での栽培を止め、その分そのまま今田地区での栽培を増やしたこと。もう1つは、これまで十分な成果を出していたロータリーカルチによる2回土寄せ方式を止め、キュウホー除草機(牽引カルチ及びレーキ式。以下「キュウホー」。)に変えたことだ。
大豆は田津地区よりも今田地区の方が圧倒的に育ちがいいし、栽培地区を3地区から2地区に集約することは、あらゆる作業機械の回送の手間を縮減することになる。いいことだらけ。しかし不安なこともあって、今田地区は転作田なので水はけが今ひとつで、抑草および除草という強度のタイミング作業に不向きなのだ。そこで、わずかなタイミングで一気に面積をこなせるように、4条一度に処理できるキュウホーを導入したわけだ。
そして、今時の様子。今田地区全景。
自然栽培および連作8年目圃場。今年も良く育っている。
昨年まで自然栽培稲を5年育てていたが、作土の薄さから大豆に転換した圃場。作土が薄くてもとりあえずはしっかり育ってくれて一安心。(手前の枕地には、明渠を掘っている関係で大豆を植えていない。)
今年はうちだけでなく、どこも出来が良さそうだ。この夏は大豆にはかなり恵まれた天候だった。だから活躍してくれたキュウホーの価値を手放しで賞賛するのはまだ早いが、キュウホー各部の調整に慣れなかったことを差し引いて、やはり良くできた作業機だと思う。次回はこの除草機について。
プール監視
2017-08-17
各作物の振り返りと現状を続けて紹介するつもりだったが、今日はちょっとくたびれた。明日以降で、大豆、稲と触れてみたい。
今日はお盆明けの本格始動。幾分暑さも凌ぎやすくなってきたし、ガツガツ行きたかったところだが、苗代の代かきをやろうとして恒例の水位調整に手間取ったり、昼一からは小学校のプール監視当番なんてのがあって、思ったほど進まなかった。
今時は、子供たちはプールの中でもやもやと動めいているだけで、泳ぐ子がほとんどいない。私らの頃は、ま、母校の川越小は皆泳ぎが達者だったから、遊びの中にも泳ぎが普通にあったものだ。鬼ごっことか、泳いだ方が早いしね。プールサイドは暑いし、見ててじれったいし、つい飛び込んでクロールで子供らを蹴散らしたくなったことだ。
もっとも泳げればだが。まともに泳いだのはいつ以来か。当番には他に川越小出身者がいたので話していたら、彼女はひっさびさに泳いでみたら息継ぎの仕方を忘れてしまったと。まさか、いくらなんでも体が覚えてるでしょ、と盛り上がるほど、かつての我々はスパルタを受けたし、今となっては落ち目傾向の川越地区の出身者の誇りでもあるかも知れない。
息子は泳げないが、本人は泳ぎたい願望がないらしいので、今まで私自身が教えたことがない。今日、プールという日々と違うシーンで、水中の移動に難儀をしている息子をつかまえて、「泳ぎを覚えてみるか」と聞いてみたが、相変わらず「いい」と一蹴された。泳ぎたいと思わせるには、一緒に泳いでやるのがいいと思ってはいるが、今年もそのシーンが作れなかった。よし、来年こそ。
春まきゴボウ壊滅の事情
2017-08-13
今年はほぼ壊滅していると、小出しに触れてきた春まきゴボウについて、ようやく触れたい。
うちの春蒔きゴボウの歩留まりは
例年、秋まきのそれに比べて6分の1くらいで、経営的に今だ成り立っていないことはこれまでに随分と書いてきた。そんな中ではあるが、今年は敢えて作付けを増やしてみた。増える研修生の作業を確保しようと考えたからである。
前回書いた秋まきのトンネル棟数を増やしたことも同じ理由だ。人が増えれば作付けを増やさざるを得ない。・・・「増やすことができる」というよりは「増やさざるを得ない」という表現の方が、洪水リスクを伴った経営にはぴったりくる。・・・かくして秋春合計で畝長にして12000m(12km)という久々の10km越えの作付けに臨んだわけである。
しかし、この写真。
根に障害が出ている。凸凹があって、短根。こうなるとゴボウは地上部も地下部もまともには育たない。実はこれはうちがゴボウ栽培を始めてずっと悩まされている症状で、ゴボウ栽培で一般に使われる猛毒のピクリンをやれば出ない症状である。秋まきには近年はずっと出ていない。しかし春まきには毎年必ずかなりの割合でこの症状が出る。原因はセンチュウではないかと、かつて県の技術センターに調べてもらって回答を得ていて、対抗緑肥を使うことを試みたりもしたし、2009年には自然栽培に出会って、それに沿った土作りをしていけば改善するかという期待を持ちつつやっているが、毎年それなりの面積で、圃場を問わず今だ発症をし続けている。
しかしこのたび、参った。畝長にして6500mのほぼすべてでこの症状が出てしまった。例年のような割合なら、さあどうか、1000〜2000mくらいで済んだか。今年もそれくらいは当然覚悟していたが、まさかほぼ全面積で出るとは・・。
秋まきの収穫を終えた今、今年の収穫はすでに「ほぼない」ということになる。研修生のユンボの練習のために残してはいるが、すでに草むらと化しつつあり、本来ならとっくにすべて潰して、緑肥を蒔いて次作へ向けた土づくりをしているだろう。
だから取引先へご迷惑をおかけしているというのは、秋まきの減収だけではなく、こちらも大きいのである。
しかし、申し訳ないことを言うが、今年はこれで良かったのかなと心の片隅では考えている。ただでさえ大変な今年の秋〜冬に、ゴボウがたくさん掘り上がってきてはどうにも回らない。皆さんには大変申し訳ないが、ホッとしている自分が確かにいる。
経営収支的にまずいのではないかという心配はあまりしていない。豊作予感の大豆が、すっかりゴボウの減収をカバーしてくれると思われる。だからそのつもり(死ぬつもり)で大豆の管理をしてきた。ゴボウ不作の一方で、全体の数字的には何とか今年もやり遂げたかどうか。大豆収穫までまだあと3〜4か月。着実な生育を気持ちを正して願いたい。
秋まきゴボウは大幅減収
2017-08-11
お盆前になって、それぞれの作物や作業が落ち着いてきた。ここらでボチボチ振り返りをしてみたい。
まずはうちの経営の屋台骨である、秋まきゴボウから。
今年は4年ぶりの不作となった。3圃場で栽培して、そのどこもが、生育障害などはなくそれなりに良く揃って育ってくれたのだが、全体的に細めで、収量が上がらなかったのだ。ゴボウは種を蒔いた時から収穫本数の上限が決まっているわけだから、1本1本が細ければそのまま減収ということになる。今年はトンネル棟数を3年ぶりに2割増しの30棟に増やして増産をもくろんだが、総収量さえ昨年を下回る結果になってしまったのだ。
このせいで、今年は多くの出荷先にご迷惑をかけることになっている。新規で待っておられる方は言うまでもなく、ここ数年のお付き合いのあったところにも出せず、きわめて初期からのお客さんにしか出せない事態となっている。
こうなった一番の要因は明らかで、ある圃場で自然栽培への転換の見極めを誤ったからだ。トンネル頭数で8棟分の圃場を自然栽培に転換しようとしたのだが、初期生育があまりに悪い。途中でしびれを切らして追肥をしたが、ゴボウはかなり初期生育がものを言う作物だ、時すでに遅し、特にこのうちの4棟は劇的な細さとなってしまった。
また自然栽培継続8年目圃場の8棟分は、隔年で6回目の栽培になるが、前回よりはマシとはいえ、やはり若干細かった。しかしここは年々細くなっていただけに、少し上向きになったということがとても希望である。
自然栽培への転換の見極めをどのようにするかということについては、自然栽培を始めて以来、ずっと悩んできたが、砂地の強い圃場はやはり厳しいといわざるを得ない。緑肥(もちろん品種による)すら育たない畑もあるのだから。緑肥でいうなら、マメ科のクロタラリアが元気に育たないところはどうやらすっかり無理っぽい。また冬の緑肥(エン麦など)と夏の緑肥(ソルゴーなど)のどちらもが安定的によく育つ畑はゴボウも良く育つようだ。
うちの場合の不安指標は、あくまで砂地がきついかどうか、ということであって、これ以外の要素はないように思える。またあくまでゴボウの自然栽培の成否の話をしているし、極めて単純化して話しているので、誤解されないよう。
今年の様なことがあると、圃場選定やローテーション計画が怖くなる。洪水が滅多に来ないというなら、これもそこそこ気軽にやれるのだが。