2018年4月
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緑肥の粉砕
2018-04-29
この時期にもなると、田畑はすごく「動き」始める。作付けに向かう各種作業が詰みまくっているところに、管理作業にも追われ始めている。如何に一つでも多くを凌ぐか、ということとは別に、どこを手抜くか、も腕の見せ所。そのため四六時中段取りを考え、そしてしばしば変更している。
この3日のメインは緑肥の粉砕だった。10時間かけて3haを。今年のメインは大麦。この品種はいい。砂地圃場でも良く育つ。一番できているところでこんな感じ。自然栽培9年目圃場だ。
しかし種取り用以外は全て粉砕〜すき込み。収穫はしない。もったいないな〜と思わなくもないが、これが一番経営的に有利。というかこれまで何度か書いてきたが、今のうちの体制では大麦を収穫するというのは有利、不利の話ではなく、思いきりダメージ。「3を得るために、10を捨てた上に死にそうに辛い思いをする。」意味の分からん人はこんな例えで理解してくれ。
ただし、来年からは分からんよ。収穫してもいいかも。頑張り屋さんを雇うからね。その辺の可能性は仕切り直してこれから探っていきたい。
採用を決めた
2018-04-27
この3日間悩みぬいた末、募集していた正社員の採用を先ほど決めた。採用はまだ先の9月ごろから。なぜ悩みぬいたのかは、そのうち紹介することになるだろうが、今はすっきりした気分だし、怪しいこと好きの私にとってワクワク感が半端でない。
農業分野は、一般に給料が低い。それには事情もあって、そういう場合、あまりスキルが求められない作業に対しての求人であり、逆に言えば、給料が低くても社会通念上それに見合っていると認められるからである。
しかしうちの場合は作業の専門性が高く、安給料では明らかに見合わない。だから「年収200万円以上」とは書いているが、これはあくまで作付けを増やすまでの最低ラインであって、「普通に」やってくれさえすれば、2〜3年目からはそれなりのレベルが払えるだろう。300万は堅いだろうし、本人の意思で頑張ればまだ増やせる。求人にはそういうことは敢えて書かなかった。
今「普通に」と書いたが、農業分野では何気にこれが厄介で、以前土木会社だったうちから言わせると、せめて土木会社に勤めているくらいの頑張りはしてもらいたい。逆に言えば労働時間含めその程度でしっかり給与が捻出できるように技術革新を進めてきたつもりだ。そして満を持しての募集だったわけ。
「農業従事者は社会の底辺層で十分だ」と頑なに考えている人は、相変わらずうちのことを厳しすぎるなどと揶揄するし、反田は人を雇う気もなくてただの自己満足の域から出ないと批判する。しかし、うちが是とする自然栽培などの栽培がそれを困難にしているという事情に触れられることはないし、雇用実現のためには作業簡易化という作業革新が必要でそこに腐心しているという事情も分かってもらえるものではない。むしろそういう視点で着実に進めていけば、30年後、50年後くらいにはさらに数名雇える可能性だってあると思っているし、こうやって事実を示していくしか理解してもらう方法はなさそうである。
もっとも30年後、50年後にはもちろん私は死んでいるだろうが、そんなことをいちいち気にしていたら、自然のスピードで経営を作るという鉄板は叶いっこない。冒頭でそのうち触れると書いた悩みぬいた事情というのもまさにそうなのだが、誤解を招きまくり、世間の常識にいちいち抗うことを強いられるこの自然栽培による農業経営というものが、なんとも面白くてたまらない。
悩み疲れた
2018-04-26
一昨日、とある会社の社長さんと部長さんと夜遅くまで飲んだ。うちの求人に関してのご縁だ。明日までに回答することがあって、今猛烈に悩んでいる。たかだか昨日からだが、すでに悩み疲れてしまった。
選ばない、成り行きを大事にする、というのが私の生き方の「是」であるが、相手もあることなので、そうたやすく決断するわけにはいかない。
しかしながら、これ以上どう考えれば結論が出るかわからなくなった。次男の名前を決める時、車の運転をしながら今の名前をそらんじていたときに猛烈に涙が溢れてきたので決めた、みたいなことでもあればわかりやすいと、それらしい何かを期待しているが、一向に何も沸きあがってくる気配がない。さあどうする。
生活をかけた現実と経営に、ロマンはどう組み込まれるべきか。いや、悩む。
歳のせいで良くなったことと悪くなったこと
2018-04-23
30分前、この世を絶望したくなるくらいに疲れ果てていたが、少し復活。雨が降る降ると言いつつ降らないので、もう少し動けそうなものだが、さあどうするか。
歳のせいか、頭の回転が鈍くなってきている。そしてこうして疲れている時の鈍さがまた一際である。今の農業駆け出しの頃は、疲れてようが何だろうが、四の五の言っている場合ではない!と念力で何でも強引にねじ伏せていたが、今はとても無理。そうしなくたって生きていけるようになったということもあるだろうが、能力の低下は間違いない。
朝自宅を出た後、奥の倉庫で荷物を積み替えて、近所に香典を渡し、その近くの倉庫で荷物を一つ積み、A圃場の様子を見たのち、B圃場で土嚢袋を積み込んで、ガソリンスタンドで軽油を継いだ後、事務所へ移動、という段取りを立てたとする。車での移動中はいろいろと考え事をするのが常なもんだから、近頃は必ず一つくらい用事をすっぽかしてしまう。さらに以前なら、途中でバイヤーさんから電話があって、入数がいくらで関東何円、関西何円と聞かれても1円刻みで説明することができたし、その直後に行政から電話があって、昨年の作物別の面積と収量は、と聞かれてもすらすらと答えることができた。そして用事も落ちなくすべて遂行。そうやってやってきた。しかしながら今、あ〜あ、片鱗はどこへ。
こうやって衰える能力がある一方で、総じて「勘」といのはよく効くようになった、といえる気がしている。しかしこの勘の中にも一部では悪くなったものがあるような気がしていて、その筆頭が、対人リスクについてのもの。例えば今、以前されたような悪だくみに絡まれたら、果たして敏感に感じ取ってかわすことができるかどうか。ワルの皆さん、今がチャンスですよ。
まあ、私自身は実はまったく気にしていない。きっと自然に調和が取られていると思っているから。しかしその調和に期待するなら、なんでもかんでも頑張るのもいいが、ある程度自然に振る舞うことも必要だろう。 この世を絶望したくなるくらいに疲れ果てているときくらいは休んだ方がきっといい。しかしこうやってグダグダ書いていたらすっかり落ち着いた。16時半。ダメ押しでもうひと踏ん張りしてきたい。
カブトムシの幼虫はたくましく育っていた
2018-04-22
稲わら堆肥の仕込み場にカブトムシの幼虫が繁殖していることを以前書いたが、息子ら向けに持ち帰るためにはサナギになる前でなければならないということで、今日息子と一緒に掘り返してみたところ、いやはや、予想以上におるわおるわ。すでに巨体。そんなのが推定で100匹を超える。浅い堆肥山で、この寒い冬をよくぞ凌いだ。やっぱ男の子はこういうの好きだね。同級生と2人で興奮。しかし持ち帰って飼育しようとしている私は、嬉しさを通り越して、面食らってしまう。
繁殖しているのは、1年半ものの山だが、隣の2年半もの(とりわけ切り返しを横着してしまっている)の山と比べても、明らかに土化が凄い、というか部分的には既に完全に土になっている。こりゃあ、ミミズの比じゃない。巨大な糞もゴロゴロしているし、窒素分ってのはおそらくそんなにはないんだろうけど、来年の育苗はこれを使うわけで、果たしてどうなるだろうか。
田んぼの稲わらにカブトムシが繁殖するということは自然界ではまず起こり得ないこと。だからいろいろ考えることはある。PHとかね。まあ、考えるだけ考えておいて、結局はこのまま成り行きに任せて行くのではあるが。
余裕があれば、あちこちに配ったり寄付してもいいんだが、30分をケチって動き続けるこの春だ。暇ないよ。
こんなことを書くと、都会では盗まれるのだろうか。当地のような田舎ではそれはないだろうが、もし盗もうと考えているバカ乞食野郎がいるとしたら、堆肥は散らかさずにきれいに盗んでおくれ。堆肥は取るなよ、貴重なんだから。モラルを持って盗んでくれ。
そして欲しい人にはあげるよ、と言いたいところだが、幼虫だけをっていうのは私は構わないけど、堆肥があげられないので、別の堆肥を用意して入れるってのは幼虫にとってどうなんだろうか。
捜索4日目
2018-04-20
大どんでん返しの結末を、わずかに期待している。

今時の追われ様
2018-04-19
暑いくらいの陽気の中、冬からの作業の遅れを取り戻すべく粛々と動いている。本線は今、ゴボウトンネルのビニール剥がし。今日で16棟が終わった。残り12棟分。従兄弟の応援を得て、1日に3時間まででできる棟数ずつやっている。
そしてこれも急ぎに急いでいるのが、春まきゴボウの種蒔き。近年は3月播きをベースに、4月中には蒔き終えるようにしているが、今年はまだ1度も蒔いていない。草取りの都合で時期をずらして蒔かねばならないので、いい加減に1発目を蒔かないとえらいことになる。あさってに蒔くつもりで進めている。
そして今年は、なんとトンネルの草取りマラソンが終わっていない。女房が授乳で保育園に通いながら、その隙を突いて少しずつ進めてくれている。現在の(2回目)進捗率87.5%。もっとも、ビニールを撤去してからやる方が楽ではある。
他に、サトイモの作付けもある。田んぼや畑回りの草刈りもある。緑肥の粉砕もそろそろ急ぐ。大豆予定圃の耕うんも待ったなし、か。・・・だから取り戻すことなんてできるはずはなく、いかに端折れるところを見極めて端折るか、という勝負。しかしこの判断が簡単でない。悩むだけ悩んておいて、最後は勘に頼る。意外と自信が有ったりして。これまでやってきたいろいろな失敗は、こういう時のためにあるのだ。
・・・
2018-04-18
昨日の、51、53とかの素数も・・というくだりでピンと来たかどうか。51は素数ではないよ。3で割り切れる。暇つぶしにわざと書いてみたが、本当に間違っていると思われると心外なので、早くも種明かしをしておいた。このレベルを間違えることはないよ。3で割り切れるかどうかを、見た瞬間に判断する方法がある。知らない人はこちらをどうぞ。
へ〜、7と11と13の見分け方ってのは初めて知った。1001=7×11×13 を利用してるんだと、ふむふむ。
こんな見分け方が何の得になるんだって?私はおかげで今の農業ができてると思ってるよん。間違いないわね。修業すれば意味が分かるかもよ。
とこんなのん気ネタの一方で、田津は昨日からパトカーやヘリで騒々しい。うちの地主さんの1人が田津の橋から身投げ自殺の可能性あり。うちのゴボウ畑から直線で100mかそこらでの話。そうだとしたら早く見つけてあげて欲しい。
48歳の誕生日
2018-04-17
今日は誕生日。例によって忘れていて、女房から言われて気がついた。まあ、何事も厳密な(爆)私に言わせれば、生まれたのが夕方らしいので、まだ「おめでとう」にはならないのだよ。
とくだらんことは置いといて、48歳というのはいい。48とは、1、2、3、4、6、8、12、24、と約数を8つも持っている。それだけで気分がいいではないか。あとこれからなら、逆に51、53とかの素数も気持ちがいいし、約数でいうなら60は当然いい。こういうの、ない?俺、数学好きだったからかね。
大真面目なことを一つ。48というのは実は私が以前から目標にしていた歳なのだ。まずは48まで生きよう、と。毎年8月3日に書いているが、ヒグマ事件が24歳だった。まずはこの倍を生きようと。若き日に私は、そう誓った。
それがついに来たか、という感慨。しかも当時想像だにしていなかった充実した人生を伴って。思ってもいなかったことは、お袋がいないこと。次24年後は72歳。お袋は73歳で死んだ。次の目標はたちまち73歳ということになるか。自分の親より長生きするというのは、とりあえず親孝行といえるんじゃないか。自分の子供らに当てはめてみると間違いない気がする。お袋自身はあと1歳足りなかったようだが、私はきっと超えてみたい。そしてまだ親父がいる。目標としてちょっと無理だというくらいに元気で長生きしてくれ。
経営と子供たち
2018-04-16
苗代はまだシート類の被覆をしていないので、朝から完成させるつもりで動いたが、10時前に風が出てきて中断。あと20分あれば終わったんだが、う〜ん、残念。女房が言うように、確かに女房がもう20分でも早く来ていれば終わった(この作業は2人でないとできない)ことは確かだが、女房の話、早めに家を出ようとしたら、3歳王子が急にウンコをもよおした上に、汚れたケツを洗おうとしたら給湯器の灯油切れ、ようやく保育所に着いたら今度は0歳姫が大泣きを始めて授乳を余儀なくされ、いよいよ到着が遅くなったらしい。奮闘した女房には悪いが、聞いて可笑しくてならなかった。
一番上の9歳王子が生まれて以来、ずいぶん子らには振り回されてきたが、むしろこれからしばらくがマックスなのかどうか。味気なく冷静に見れば、彼ら彼女らによる経営的損失は計り知れないものがあるだろう。しかし結果的にダメージがあるかないか分からないくらいに、経営は悪くない線で安定している。それはこうなることを想定して経営を作ってきたからではあるだろうが、彼らから貰う力というものもあるんじゃないか。まあいつもの後付けの理屈であって、毎日が楽しく、かつ必死で、そんなこと考えることもないが。
お袋が死んで、順番から言えば次は親父、そしていつかは私も死ぬ。これを延々繰り返していくのが人類、というか生命だ。今の私がそうであるように、子らが少しでも「生きがいを感じられる世の中」――敢えて「いい世の中」とは言わないーーを作ってやりたいと常々思っている。